Scala を覚えてお金に困らなくなった話

2010年くらいに Scala というプログラミング言語を勉強し始めて今で約10年。そのおかげで、今ではお金に困らなくなったという昔話。

もちろん、「Scala を覚えておけばお金稼げますよ!そのために、私がやっているセミナーを受講しましょう!」とか、そういう話では無い。

Scala を覚えて、なんでお金に困らなくなったかというと主に理由は3つ。

  1. 新しい言語を勉強すること自体によって、あるいはコミュニティの人に影響を受けて色々勉強するようになって、プログラマーとしての実力が上がり、もらえるお金が増えた
  2. Scala がその後色んな場面で使われるようになって需要が増えた
  3. Scala コミュニティの人経由で仕事がもらえた
    • ビッグデータ(Spark)の仕事はお金が良かった
    • 関わった会社でストックオプションをもらって、その会社が上場した

最初の1つは、どの言語を勉強していても多分それなりに同じ効果が得られたと思うけど、残りの2つは運の要素が強いと思う。

話の結論だけ先に書いておくと

  • 新しい言語・技術を勉強するのは、以下のような点で大切
    • 世の中はどんどん進歩するので、それに付いていくため
    • 脳みそを退化させないため
  • 勉強仲間・コミュニティというのも、色んな意味で大切
    • 刺激になる
    • 仕事のつながりとかになることもある
  • 当時関わっていた皆さん、大変お世話になりました
    • (何か恩返しできる事があれば声をかけて下さい)

さて、結論を書いたので、以下は興味のある人だけ読んで欲しい。上に書いた2,3を中心とした中年男性の昔話、かつ長文なので、あしからず。

事実を時系列で

勉強開始、Scala座、Scala勉強会

Scala を勉強し始めたのは多分2010年頃だったと思う。

「関数型言語ってのがあるらしい。どれか一つ勉強しよう。」

とか思って適当に選んだ。Java の資産が使えるってところに少し魅力は感じたような気もするけど、そこまで決定的な要素では無かった気がする。

なぜ新しい言語を覚えようとしたかは詳しくは覚えていないけど、漠然と将来に対して不安を感じていたのかもしれない。

勉強し始めてすぐ(数週間とかだったような)くらいに、名古屋で「Scala座」というイベントが開催されると教えてもらって(Twitter で教えてもらった気がする)、何も分からないけどとりあえずチケットを予約して参加した。ちなみに、今ググったら2010年09月04日開催らしい。

9月4日 第1回 Scala座(愛知県)

そこでの内容は正直あまり覚えてないけど、参加していた人は、その後のコミュニティの中心人物みたいな人も結構いた記憶がある。

イベント後の懇親会にも参加して、そこで「東京でも勉強会やりましょうよー」みたいに何人かに声をかけて、東京でScala勉強会が始まった。

当時は独身でフットワークは軽かったので、名古屋行ったり勉強会に関わったりってのに躊躇は無かった。

ちなみに、その頃の自分の仕事は偽装請負で、某日系グローバル企業のプロジェクトに参加してた。3次請けの会社との契約だったけど月70万(かつ独身)とまぁまぁ良かったので、この頃はお金にも余裕はあった。

勉強会で知り合った人

2010〜11年頃、東京では Scala の勉強会が2〜3個あって、そのうち1つは自分も運営に関わり、その他の勉強会にもちょくちょく顔を出していた。

優秀な人、普通っぽい人、変わった人、色々いたけど、今回の話の流れに関連する人物は2人いる。

Aさんは、自分が以前在籍していた会社に、自分が辞めた随分後で入ってきた人で、当時は会社員だったけど、その後フリーランスになっている。彼には仕事を手伝ってもらったり(間接的に技術を勉強させてもらったり)、仕事を紹介してもらったりと色々お世話になっていて、足を向けて寝られない。

もう1人のBさんは、自分が運営に関わっていない方の勉強会(もくもく会)でテーブルの向かい側に座っていた人物。

「今、何をやってるんですか」

と聞いたら

「あ、iOS のアプリを作ってて・・・」

みたいに答えてくれたものの、

(iOS アプリなのになんで Scala 勉強会に来てるんだろ?)

みたいに思った記憶がある。

種明かしをすると、Bさんは、会社を立ち上げたばかりで、技術者を探しに色んな勉強会を回っていたところだった。

今でこそ、そうしたことをやる人も多く、勉強会側でも「スカウト目的の参加はお断り」みたいなところが多いけど、2010年頃はそうした方法はあまり有名では無く、Bさんも

「周りは誰もやってないんで、あまり教えたくないんですけど、結構効率良いんですよ」

と後から教えてくれた。

フリーランス兼社員、結婚、法人化

Bさんとは、その後ランチをして、2011年の頭くらいからその会社を手伝うことに決まった。

当時偽装請負の仕事をしていた某グローバル企業は当時は六本木にあったんだけど、Bさんの会社のビルはたまたまそこから徒歩5分くらいのところにあったので、昼は偽装請負の仕事をして夜はBさんの極小オフィス(兼自宅)で仕事をするという生活をしばらくしていた。

その後にBさんの会社は資金調達をしていて、ストックオプションを発行するんで、みたいな流れになり、ストックオプションをもらうために形式上はBさんの会社の社員になった。とは言え、夜や土日はフリーランスの仕事はOKだったので、細々とフリーランスの仕事もやっていた。

偽装請負の仕事は2012年くらいで辞めて、その後は、Bさんの仕事を社員としてやりつつフリーの仕事をしてたけど、その後に、Bさんの会社も社員としては辞めることにした。多分、Bさんの会社の事業にそこまで熱意が無かったのと、給料が安いのが理由だったと思う。ただ、引き続きフリーランスとしてBさんの会社を手伝うことにした。

2013年に結婚して、その後割とすぐに妻が妊娠して、子供が出来たので、それも辞める原因の一つだったのかもしれない。

その他、仕事上の話題としては、まだBさんの会社の社員だった2013年には形式上は法人成りした。当時は主に1人で仕事をやってたけど、せっかくなら将来的には人を雇いたいと思い、最初はプログラマー志望の元同僚を見習いみたいな形で教えつつ、徐々に仕事を任せたりしてた。

話を元に戻すと、子供が出来る前後から、在宅で出来る仕事を増やしていったが、当時は今みたいにリモートワークが一般的では無く、仕事選びにはそれなりに苦労していた。

人が増え、収入は減った

2013年、2014年は、会社の売上は1000万〜1300万くらいだったと思う。元同僚分やその他の外注費・経費を払うと、以前より収入が下がった。役員報酬(≒給料)は月50万だったと思う。生活は出来るけど、そこまで余裕は無い。将来の保証も無い。

その後、2015年から、後輩に紹介してもらったフリーランスのFさんにも仕事をお願いすることにした。Fさんは地方に住んでいて、自分の会社の仕事をほぼメインでやってくれているので、社員に近いような形。

その頃から仕事も少しずつ増えて、他のフリーランスの方にスポットで仕事をお願いしたり、たまに前述のAさんにも仕事をお願いしたりしてた。とは言え、相変わらずお金はあまり無い。

2015年、2016年の会社の売上は2000万くらいだったと思う。役員報酬は、変わらず月50万だったはず。

今だから言うが、妻(別の会社の会社員)の給料から毎月数万預かっていた貯金を、こっそり生活費に使ったりした事もあった。(後で返している。)

仕事が無いので、常駐で Spark の仕事を

2017年は春先から仕事があまりなかった。それまでも仕事には波があったので、数ヶ月したらまた何か来るかもしれないし、と思って待つことにした。

その間、小遣い稼ぎになるかもと思って、ちょっとしたサービスを立ち上げたりしたけど、全くお金にはならなかった。

徐々にお金が減ってくる。Fさんはフリーランスなので、契約が終われば更新する義務は無いけど、今まで一緒に仕事をしてきたし優秀なので、出来れば一緒に仕事を続けたかった。でもお金が無い。

そんなときに、Aさんから

「知り合いが Scala を出来る人を探しているんですが、常駐なんでどうですかねー。」

みたいに連絡をくれた。

背に腹はかえられないし、子供も3歳になって保育園に通ってるので、そろそろ外で仕事しても大丈夫と思い、その人と会ってみることにした。

Spark の仕事だと言うので、本を1〜2冊買って勉強したりチュートリアルをやったりとか。結局、その仕事をやらせてもらうことになった。

その仕事が大きく伸びた

詳細は省くが(&書けないが)、そこのお客様の仕事はその後大きく膨らんで、人を増やしたり、ようやく役員報酬を増やしたり、将来に備えて貯金したり、が出来るようになった。

その会社の仕事が無くなると一気に厳しくなるのは分かってるので、あまり調子に乗って手を広げたりはしないようにしている。

ついでに以前の会社が上場した

そうした安定した状態で3年くらい経った頃、以前働いていたBさんの会社が上場するという連絡が入ってきた。その会社は辞めているものの、ストックオプションはまだ有効だった。

公になっている範囲のことしか書けないけど、ロックアップ期間が終わるのが今年(2021年)の半ば。株価は公開直後に大きく上がったものの、現状は公開価格に毛が生えた程度。でも、仮に今の価格で売ったとしても、普通の会社員の年収数年程度にはなるので悪くは無い。

とは言え、もうこれ位の年になると欲しいものとかも特にないし、かといって仕事を辞めて悠々自適に暮らせるほどの金額でもないので、嬉しいといえば嬉しいんだけど、それほどでもない・・・ってのが正直なところ。

学んだこと

ここまでは事実を書いてきたので、ここからは感想とか。まずはここ10年くらいで学んだこと。当たり前の事ばっかりだけど。

勉強は大事

自分は20代〜30代前半の頃、割と出来るプログラマーだと思っていた。仕事で分からない事はドキュメントを読んだりして無難にこなしていたけど、本を買って家で読んだりってのはあまりしていなかった。

Scala コミュニティの人と知り合ってから、自分がまだまだ未熟って事がよく分かって、以前より勉強もするようになった。このとき身に付いた勉強の習慣がないまま今の年齢になっていたら、多分世間で言う老害になっていたと思う。

運とか実力以外の事も大きい

上述の通り、豪遊は出来ないものの生活には困らなくなったし、年金と貯金を合わせれば、老後もやっていける目処は付いた。

でも、こういう状況になったのは、働いていた会社の上場もそうだし、お金が良いプロジェクトを紹介してもらったのもそうだし、運の要素が大きい。

なので、自分の実力を過信せずに今後も謙虚にいこうと思う。

信用は重要だけど、失うのは簡単

仕事って信用は大事だなというのは良く思う。信用されていないと仕事も紹介してくれないし、仕事がちょっと遅れそうなときでも、信用があれば「XXまでに取り戻せると思います」というのを待ってもらえるし。

信用を無くすのは一瞬っていうのは良く言うけど、それはそうだし、結構些細なことで信用を無くしたりするので難しい。

自分自身が信用を無くしたかどうかは分かりにくいけど、他人のちょっとした行動で

「あ、この人は信用出来ないな」

って思った事は何度もある。人の振り見て我が振り直せ・・・

まとめ?

生活の余裕も出来て、年齢的にもいい年なので、そろそろ後輩の育成とか世間のためになるようなことをもっとやろうかな、とか最近思い始めてる。あとは、今までと全く違う分野のことに挑戦してみるとか。

いずれにせよ、人生も後半だけど、色々楽しみたいなと思う。

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